お花畑から来ました。

バンギャルの燃えカス

あなたがいれば明日になれる

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2012年から2019年まで好きで2016年からは執拗に追いかけていたバンド、R指定が、12月29日に無期限活動休止に入りました。
10年止まらずに活動し続けて来たあの規模のバンドが、つい先日までツアー中だったのに発表から1週間後のライブであっさり活休してしまったのはあまりにも現実味が無くて、まだ「R指定の活動がもうない」というのがどういうことかよくわかってません。



以前、とあるアーティストが「学校で普通の青春を送れなかった子達も、ちゃんとバンドのおっかけを通してそれを経験することが出来るんだよ」(ニュアンス)ということを言っていたのがずっと胸に残っていたのだけど、R指定はまさにそれでした。

メンバー、少なくともマモはそれを大いに自覚してくれていて、歌詞でもSNSでもライブのMCでもそう言ってくれてました。


好きな服を着て好きな人に会いに行って、友だちとはしゃいで写真を撮って、っていう私がまともに経験できなかったことをする場所を、十数年経って同世代の彼らが与えてくれました。

30歳過ぎて通い始めた私には遅過ぎた青春でしたが、R指定の曲が、歌詞が、七様のベースを弾く姿が、笑顔が、ステージに立つその姿勢が、遠征の旅路が、マモの「とりあえず今は生きろ」が、R指定が活動していて会いに行けるということが、仕事で罵声を浴びても休憩が取れなくても頑張る力をくれたし、そんな現状を変えるべく転職する勇気をくれたし、仕事が見つかるまでの期間の不安や情けない思いを打ち消してくれたし、ゼロから新しい職場でやって行く力をくれていて、「依存しながらでも生きてていいんだ」「職場は自分の生きる場所じゃない、私の本当の人生は休みの日にライブハウスにいる時間だ」と思わせてくれて、どうにか私を生かしてくれていました。



楽しみも何も無いド田舎でクソつまらない日常を送っていても、その私の人生の横を常にR指定が並走していてくれて、彼らは彼らで私が会いに行けない日にはリハなりレコーディングなり撮影なり見えないところで頑張っていて、休みの日に会いに行った時だけライブハウスでお互いの人生が交わって、共有する同じ景色と思い出の個数が増えて行って、会えなかった日が報われて、また次の会える約束に向かって日常に戻る、っていうのを当たり前に何年も繰り返してたんですけど、それって全然当たり前じゃなかったんですよね。

R指定は盤車で前のツアー先から、私は新幹線やバスを乗り継いでド田舎の日常から、お互いに同じ箱を目指して走って、開演時間になったらやっと会える、っていうことが奇跡だったのを今になって思い知らされました。

自動的に新曲やツアー日程が出てライブが供給されてるような気になってたけど、それを頭を捻って考えて生身の体でステージに立ってボロボロになりながらツアーを回ってくれている必死の彼らがいたから実現してたのに。

だから活休の理由として、「新しい物を提示することができない」「疲れた」と言われた時、ハッとして、「それは仕方ないな」と思いました。


国技館の活休(凍結)ライブで、マモに「R指定が預かっていた青春を、一旦返します」と言われました。その一言で「ああ、もう自分だけで頑張って生きて行かなきゃ行けないんだなあ…1人なんだなあ…」と活休するということの重さがのしかかりました。
あれだけ私達のお兄ちゃんでいてくれて「大丈夫だよ」って言ってくれていたマモが、これまでしっかりと預かっていた私達の青春を「ゴメンね、」って手放して「これからは自分で頑張れ」って言ったことは、私にとっては別れ話みたいなものでした。


そこそこ彼らを見て来た身として、彼らは活動再開するんじゃないかな、と思える根拠はあるんですけど、それがいつになるかはわからないので、あと何回彼らのいない、ツアーもリリースもない、Twitterで自撮りの1枚も見られない、そんな毎日を、春夏秋冬を、あと何回無機質に心を殺して繰り返したらあの日々が戻って来るんだろう、そう考えると心が折れます。
ツアーがなければ、もう季節を感じることすらないかもしれない。


R指定の曲、1曲1曲に全国各地のいろんなライブハウスで聴いた思い出があって、リリースから聴いてる曲はその時仕事がこうだったけどこの曲で頑張れたな、っていう記憶が伴ってて、遠征先の夜バスを待つ空気の冷たさも野外ライブの太陽の痛さもライブ後に食べたご飯も全部思い出せる。

年齢が年齢だったので指定女子の友達を作るのははばかられて、ワンマンやインストはいつも1人だったけど、会いに行けばメンバーがいて、同じ穴の狢の指定女子がわんさかいて、一人ぼっちと感じたことはなかったし、イベントは誰かと一緒にワイワイできることが多かった。とにかく、R指定が活動して予定があって会いに行けるだけでどこにいても1人じゃなかった。



3年前にR指定に背中を押されて頑張った転職活動で入れた今の職場も、契約が切れるので今月でサヨナラしなければならなりません。(タイミング悪過ぎうけるそれな)
今度の転職活動は1人なんだな、「これが終わったらライブがあるから」とも思えないし、受かってもメンバーに報告してよかったねとも言ってもらえないし、ダメでも励ましてもらえないし、そもそもライブ無いのに何のために働くのかわかんないし…


今すぐちゃんとしなくていいから「とりあえず今は生きろ」と言ってくれたのは、マモが初めてでした。転職活動中に行ったライブでも「今はニートだっていいじゃん」って言ってくれて、理不尽さとストレスに耐えかねて仕事休んで急遽行ったライブでは、お土産かのごとくナイスミラクルで七様のピックをキャッチできたりして、それをお守りにして次の日からまた働いて。そういうのがもう、無いんだなあっていうのが、不安で虚しくてしょうがないです。


実際に青春と呼ばれる年代に救ってくれたのはRaphael華月というまた別のすごい人だったけど、同世代なのに私を背負ってくれて、励ましてくれて、いつでも責任持って完璧にステージに立っていたR指定5人がいなかったら、大人になってからは生きて来られなかったと思います。



マモが返してくれた私の人生、次に会える時までちゃんと自分で大事にして行かないとダメですね。まだどうやって頑張ったらいいかわかってないけど、R指定に生かしてもらってここまで来たので、終わりにするのはもったいないからまだ生きてみます。